”花”のある危険  新歌舞伎座の扇雀と猿之助 昭和42.1.24 毎日新聞(夕)劇評 山口廣一

 

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 西の扇雀と東の猿之助、ともに今日の歌舞伎俳優のうちでは特に大きい舞台の”花”を持った若手の

人気者である。そのふたりが顔を会わせたのは初春芝居にふさわしい明るさだ。
 扇雀でいうなら、四世南北の原作を舞踏化した「お染の七役」の早替わりがそれだ。久松、お染、お光、土手のお六などを早いテンポでつないでゆくのだが、そのそれぞれに舞台の”花”が美しくて、この人の魅力が十分に発揮される。
 かたや猿之助では、先代ゆずりの「黒塚」が依然として最高の芸だ。作よく曲よく振りもよく、わけて月に浮かれるわらべ唄のくだりから、後シテでの地蔵倒しまで、これも舞台の”花”が心ゆくまでひろがって、あの若さであれだけの円熟さを見せるー以上の二狂言が今月での優秀作である。
 だが、その反面、このふたりの人気俳優に共通する課題は、そのめぐまれた天性の”花”を今後いかに効率よく結実させ得るや否やにある。自己の”花”を過信するあまり、かえって仇花のむなしさに萎えしぼむ危険も同時に存在しているのだ。深い自戒がこのふたりに共通して必要なゆえんだ。
 「黒塚」であれ程の演技力を示した猿之助も「俊寛」になると、意欲ばかりが先行して、演技の練りが足りていず、悲痛さの押し売りが悲痛さを上すべりさせている。
 同じく扇雀では「吉田屋」での伊左衛門がよくない。細評するなら、最初の冬編笠の花道から”ゆかりの月”まで、総じて演技のスピードにしろ、せりふの抑揚にしろ、ひどくマのびしているのがよくないのだ。とかく上方和事といえば、その和の文字に拘泥してか、弾力のないマのびした演技を正しいと考えるところに間違いがある。この伊左衛門のような典型的な上方和事では、逆にもっとスピーディーな緊迫した演技こそ正しいのである。扇雀が見せたあんなにまでスローテンポの伊左衛門では舞台のふんいきが陰々滅々になるのでいけないのだ。将来の上方和事の第一人者であるべき扇雀だけにこの点をとくに強調して教えておく。(山口廣一)