雪を忘れた「岡崎」 S.45.10 国立劇場  <演劇界>劇評 山口廣一

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伊賀越道中双六」
 鴈治郎仁左衛門と顔をあわせたほか出演俳優全部が全部、大阪役者であることは、なんとしてもよかった。もちろん大阪役者だからいいといっているわけでない。上方狂言上演での上方役者の純性がまもられていることがいいのである。序幕の「行家屋敷」の場に柝が入って幕があく。この幕あきの合方からしてすでに、その三味線のノリが江戸でなく、これは大阪だと私の耳には直ぐ知れた。そして私はこの芝居の行く手にそこはかとなき期待をかけたのだが、さて幕が進むにつれて、そうした期待が晩秋の街並木が一葉づつ大地に落葉させていくようなそんな寂寥感に変貌していったのは、一体全体、なぜだったのであろうか…。
 二幕目「郡山屋敷」の場、お谷と武助のくだりがあって、政右衛門の出になる。ここの呼び出しの義太夫の「心がけある侍は、地を這う虫も気を許さぬ」は文楽の専門語でいうところの、横隔膜をずしりと下腹部へ押さえた播磨地(はりまじ)の地色なのだ。そうした発声量感と、そうした発声の輪廓とが、やがて登場するであろうところの唐木政右衛門の人間的風格を、はじめて観客のイメージのなかに導入する。そんな意志と機能を持っているのだ。ところが、この場のチョボは、これをまるで江戸小唄のような鼻先の黄色い口腔音でこともなげに唄うのである。大きい被害は鴈治郎の政右衛門だった。
 その花道へかかった鴈治郎の政右衛門の第一印象は、どうにも上わ脊の足りないのがさびしい。こんな俳優の生理的な欠陥をあげつらうのは気がひけることだけれど、やはり見だてがない。
 だがそこはさすがに鴈治郎で、奥にゆくにしたがって時代と世話の流動する体線の使分けに洗練があり、上方芸の一つの原型のようなものを次第に提示して来る。もう少し正確にいうなら、それは時代よりもむしろ世話味の勝った演技、たとえば五右衛門の果し状を皮肉にとって「まずそれまではお許しくだされ」と上半身を前のめりに辞儀する瞬間、左肩を微かに落とすようなやわらかな曲線の描き方などは、正直にいって政右衛門らしくない味なのだけれど、それがまた義太夫の粘着質のリズム感とどこやらうまく密着していく。これはあきらかに上方芝居の美意識である。辛抱立役におけるこの式の時代四分に世話六分、といった逆の配分のおもしろさは、現在に継承された先代鴈治郎の大きい遺産といえる。
 
 三右衛門の宇佐美五右衛門が以外によくないのは困った。おそらく近年でのこの人の病弱にもよるのであろうが、こんな福徳円満型の微温的五右衛門では「饅頭娘」にならない。この場のもっとも演劇的なるものは、実はこの五右衛門と政右衛門との剛と軟との対比にあるのだ。激怒に身を震わせた五右衛門が投げかける罵声を、酔態の政右衛門がぬらりくらりと肩すかしで逃げるおもしろさがこの段の趣向なのである。こうした五右衛門の焦燥や激怒や正義感や、そしてそれらが最後に全部裏返しになって古武士の一徹な死の決意にいたるまでの経過が反動的にこの場での政右衛門の人間像を鮮明に浮き彫りにしていく。そんな対照効果の計算があるのだ。三右衛門の五右衛門はあきらかに存在の失格である。
 扇雀のお谷もよくない。この人の舞台がもっている一種肯定的な明るい雰囲気が、この場での武家の堅気の女房を否定する。扇雀の持ち前の得点がこのお谷では逆の減点にまわっているのだ。さらにいうなら、このお谷は下手の襖から頭巾姿で顔を出した最初の登場からウレイの肚でいるのが、あきらかにまったくの誤演である。政右衛門の後添いが妹のおのちと知るまでは、不安と疑惑と嫉妬のお谷であるべきで、ウレイでない。そのことは丸本に明示されている。 太郎の下僕武助も荷が勝ちすぎているし、性根もつかめていない。右にいったとおり、鴈治郎の政右衛門がせっかく上方芸の一つの典型としての辛抱立役を見せてくれているにもかかわらず、かくもワキの役々の誤演が揃っては、なんとも歯切れの悪い「饅頭娘」に終わる。演出が粗雑すぎた。
 次の「奉納試合」でも、鴈治郎の上脊の足りない、見てくれの悪さが気の毒だった。わけて松若の林左衛門がいささか並はずれて高いので、それが目立つ。床柱を背にして奉書を斜めに構えた形での、先代鴈治郎の立派さを思はず私は心の底で反芻していた。役柄が定型化している歌舞伎の場合、とくにそれぞれの役柄と俳優の肉体条件との相関における不可避の当否はおそろしい。それは単なる演技の形態に止まらなくて、演技の中核的なものまで決定づける。それがおそろしいというのだ。
 政右衛門の奉書に対して、大内記が太刀で立ち向かうのは、江戸系の長槍に対する上方系の主張である。(もっとも逆に文楽の人形では長槍なのだが)そして試合の下座も江戸系では“扇拍子”でゆくところを、上方系では合方入りである。とにかく格式張ったことを避けたがる上方人的感覚が、こんな歌舞伎演出の片隅にも顔を出しているようだ。
 誉田大内記は扇雀だが、最初の正面から出ての「誰々も出仕大儀」といったせりふの音程はもう半音ばかり高いがいい。青年藩主大内記の闊達な若さの表現としてである。だがそんなことよりも、扇雀の誤演がここでも一つ大きく注目された。政右衛門が林左衛門に討ち負けたあと、五右衛門が脇差しに手をかけようとするのを制しての「やれ待て、この場の切腹相叶わぬ」の語調にしても、正面奥へ引っ込む瞬間の五右衛門に投げる視線の思い入れにしても、それらに大内記の政右衛門への厚意をそれとなく形象させている。いはゆるハラを割っているのだ。これではあとの大内記と政右衛門の奉納試合が馴れ合いになってしまう。こう最初から大内記が自分の真意の在りどころを明示してしまっては、この芝居のトリック的興味を、観客から剥奪してしまうことになる。歌舞伎の、こんな素朴な趣向の掛け引きすら、わからないものか。不思議千万である。
 扇雀君ばかりを対象にして悪いのだけれど、ことのついでに申し上げておきたいのは、この場の幕切れで、花道にある鴈治郎の政右衛門に呼びかける大内記の「主従は三世ぢゃのう」のせりふを、ひどく哀切な、まるで泣き出すような感傷的語調で、その語尾を絶え入るばかりながながと伸ばしていたのが、コトバの演技として、どうにも類型すぎているということだ。
 扇雀にかぎらない。失礼ながら演技力の低下した近ごろの歌舞伎俳優諸君は、ウレイのせりふは、そのせりふの語尾を伸ばせば、それで十分表現できたものと至極安易に決めてかかっているのでないか。こんな単純幼稚な様式演技しか心得ていないのである。そこに演技創造のエネルギーの枯渇を見る。これも亦救いがたき歌舞伎の、今日的薄暮化である。
 義太夫での道行場に該当する「藤川新関」で、飛脚助平の遠眼鏡から趣向して、この場に「団子売」や「万才」の景事浄瑠璃を挿入するのは文楽式の演出だ。こんどもそれに倣って、ここへ長唄地の「松霞我彩色」なる所作を押し込み、秀公の太夫、孝夫の才蔵、秀太郎の鳥追いの三人を踊らせた。義太夫のチョボの人材難から、やむなく長唄地を選んだという弁解は読んだものの、やはりこの本格の義太夫狂言における細棹物の所作事は、どうも違和感が付着する。一歩ゆずって、そうした違和感のせんさくは措くとしても、この長唄地の所作そのものの内容がさしていただけるものとも受けとれず、右の若い三人の振りごとにもそれぞれ不満が残ったうえ、その歌詞に俳優片岡家の私的な祝儀が唄い込まれているようなところが、公的劇場としての国立劇場での上演だけに、いささか意識のうえでの、すっきりしないものを感じさせる。おかしなことだ。
 
 演技評にもどる。ここでの飛脚助平にすでに年齢的に過重な動きの期待されぬ璃珏を選んだのは、むしろ痛々しかった。いかにも老人の冷や水めいた疲労が先に立って、この役の跳躍的なおもしろみがどこにも発見し得なかった。かてて加えてこの人のせりふの発音がひどく不明瞭でほとんどなにをいっているか聞きとれない。
 もし私なら、この助平に若い人気スターの孝夫君を配してみる。そして十分伸び伸びとやらせたうえ、この助平を中心とした別の企画の義太夫地のおかしみで処理してみたい。もちろん、これはなんの責任もないほんの私の、即興的演出案なのだけれど…。
 八ッ目の「岡崎」を端場から比較的ていねいに上演したのは本格的な試みでよかったのだが、松柏の眼八(がんぱち)が騒々しいばかりで、文楽でのこの端場における幸兵衛と眼八との取り合いのおもしろさなど毛頭のぞめなかった。
 秀公の志津馬と秀太郎の組み合わせである。その秀公の志津馬ではせりふの間をせき込むのが欠点だ。秀太郎のお袖は後半で尼のくだりがないので寂しいのだが、神妙に実力だけで見せていたのが得点につながる。
 舞台を半まわしにして、雪の竹薮の門外になると、「逃れて急ぐあとよりも」のオクリで花道から菰ござで身を隠した政右衛門が駆け出る。七三でその菰ござから顔をのぞかせる。頬かむりの手拭の花紺めいた鮮やかな色合いがいかにも効果的だ。老境に入ってからの鴈治郎の顔は次第に彫りが深くなって陰翳の渋い美しさが出て来た。もともとこの人の顔は治兵衛や忠兵衛の顔でないのだ。世評に楯つくようだけれど、このことはここで改め確認しておきたい。その説明の余裕はないが、あの顔は辛棒立役の顔だ。その辛棒立役の顔に年齢から来る古色が加わった。そんな美しさなのである。
  捕手との立ちまわりになる。上脊の足りない小柄の政右衛門は依然としてハンディキャップであり、「ほぐれをとって真っ逆さま」で捕手を投げた見得など、形が生きて来ない。幸兵衛に危機を救われて「見苦しけれど拙者が宅へ」と案内されるのを受けての「然らば、ご免」には義太夫の皮肉さがある。かって山城少掾なども、わずかなこの一句をひどく気にしていた。ご参考までに申し上げるなら、「然らば」をコトバに取り、つぎの「ご免」からフシに取るのだが、その「ご免」の音づかいで、この見知らぬ親爺の厚意を不審がる政右衛門の疑惑の心理を摘出しようとする技巧なのである。偶然の一致かも知れないが、鴈治郎の政右衛門が、この一言に意識的なアクセントを添えていたのは、多少ともそうした義太夫の皮肉を心得ていた結果だろうか。もしそうなら、それはあきらかに先代鴈治郎ゆづりに違いない。
 仁左衛門の幸兵衛もあの顔のつくりが人形での鬼一ガシラを思わせていたのが一興である。からだの動きにもう一つ腰の切れない感じはこの人のいつもの欠点なのだが、せりふに義太夫言葉の幅を利かせて量感をねらっているのがよい。この幸兵衛と政右衛門とが「尽きぬ師弟の遠州行燈かき立てかき立て」で名乗り合うイキはおもしろく出来た。そしてここでも鴈治郎のその政右衛門が両手をついて顔を心もち斜めにもっていくやわらかな首から肩への描線に、上方芸の色気というか情感というか、そんなものが瞬間の閃光として光る。
 幸兵衛が出ていったあと「そとは音せで降る雪に」から、花道のお谷の出になるのだが、照明がああまでベタに明るいのは神経がなさすぎた。このくだりは多少とも照度を落として、やがてはじまるであろうお谷の苛酷な悲劇にそなえるべきだった。それがこの場の作意でもあり模様(抒情表現)でもあるのだ。雪の夜の暗さの底を匍う母と子の慟哭、そんな感覚的なものが、舞台の効果の上にも用意されていなければいけない。
 その扇雀のお谷が花道から舞台へかかると、下手から小提灯をさげた夜まわりの親爺が登場する。その吉三郎の夜まわりにまったく芝居っ気がなかったのは致命的である。この一役は決して単なる点景人物でないはずだ。それはこの場の実感誘導の、もっとも重要な反射盤ともいえるのである。演技の巧拙の以前に問題があるのである。演出がさらに粗雑だ。
 扇雀のお谷も一応の努力はわかるにしても、演技の軸点になるものがこれもまったくつかめていないようだ。第一、前記の夜まわりにしても、このお谷にしても、それらの演技のいずれの端からでも観客は、丸本に指定されたこの雪の夜の“氷のような”寒気の一端すら、果たして実感として受け取り得たであろうか。雪の寒気のない「岡崎」を、少なくとも、私ははじめて見た。
 お谷が雪のなかに悶絶すると、政右衛門が戸口へ出て枯柴をくすべて暖を取らせ「気を張りつめて必らず死ぬな」の絶叫から「この年月の悲しさとうれしさこうじて足立たず、菰に積りし雪のまま、着せてチンテンテン」の拍子オクリの三味線のおもしろさまで、この一幕の最高潮であるべきくだりが、鴈治郎の政右衛門にも扇雀のお谷にも、まったく演技の手順が出来ていない平凡さで、芝居の興奮がどこにも盛りあがってこなかった。
 さらに、鴈治郎の政右衛門についていうなら“莨切り”での包丁の音が演技とハンマ、ハンマにはいって耳ざわりだったこと。それにしじゅう顔を正面に向けていたのも、どうした解釈か。妙でないか。ここはそばで糸を繰る母親に気取られまいと、視線煙草を刻む手もとに落としながら、雪の戸口にたおれた女房と子供に全身の神経を尖らせている絶体絶命の場における血みどろな精神の痛み、そんなもののせめて一端でも、鴈治郎の芸として見たかったと思う。
 
 各場を通じて強いて選ぶとするなら「饅頭娘」での鴈治郎と「岡崎」での仁左衛門の幸兵衛との一応の格闘ということになろうが、総評としては失敗の『伊賀越』である。演出の安易さ、演技の安易さ、そんな割り切れぬ安易さを見たことは悲しい。
 上方役者の純性で採あげられた上方系の義太夫狂言だという私の最初の期待からして、すでに同じく安易だったのであろうか。どうにも捨てどころのない苛ら苛らした気持ちで。午後十時、帰りの劇場バスのなかに、黙々として私はあった。