2019-01-01から1年間の記事一覧

雪を忘れた「岡崎」 S.45.10 国立劇場  <演劇界>劇評 山口廣一

「伊賀越道中双六」 鴈治郎、仁左衛門と顔をあわせたほか出演俳優全部が全部、大阪役者であることは、なんとしてもよかった。もちろん大阪役者だからいいといっているわけでない。上方狂言上演での上方役者の純性がまもられていることがいいのである。序幕の…

"江戸系の情緒"  四月の新歌舞伎座 S.47.4.12 毎日新聞 劇評 山口廣一

およそ俳優は演技力のほかにそれとの関連において個々の肉体がかもし出す情緒的な可能性をそれぞれに持っている。いわゆる役者の持味と称されるものがそれなのだが、今月の『江戸育お祭佐七』での勘弥の佐七などを見ていると、そうした持味のたのしさが、い…

「大和屋」が勝負  本興行の文楽座 S.37.2.4 毎日新聞 劇評 山口廣一

文楽で見る近松の原作もの、必ずしもおもしろくない。むしろ近松より後世の俗輩作家によって勝手気ままに改作されたもののほうが、かえっておもしろい実例のあるのは皮肉だ。 今月の文楽座では近松の「天網島」の全編をほとんど原作に近く上演した。しかしそ…

めぐまれなかった晩年 団蔵の死  昭和41.6.5 毎日新聞(夕)劇評 山口廣一

この春、花の四月の東京歌舞伎座は歌右衛門を筆頭にして勘三郎、梅幸、勘弥、三津五郎ら豪勢な顔ぶれの歌舞伎公演で、近来にないにぎわいを見せた。その花やかさのなかで八世市川団蔵の引退披露狂言の『鬼一法眼菊畑(きいちほうげんきくばたけ)』『助六曲…

玉葉、羽左衛門、喜多村 里見弴の素顔  山口久吉(サントリー美術館)

終戦間もなくのころ先生(里見弴)と京都へゆき、三条大橋東のしもたや風の宿に泊まった。夜十一時近くになって一人の女性が現れた。一見して祇園の芸者と知れたが、背のスラリとした美人で京風というよりは東京、それも柳橋か葭町の感じだった。すぐ酒にな…

復活場面の意欲 文楽の帰国記念公演 昭和49.7.26 毎日新聞(夕)劇評・山口廣一

日本では突っかえ棒がないと自立できないはずの文楽が、異国パリでの六月公演三十日間を文字どおりの連夜満員にして帰って来た。その皮肉が話題を呼んでいるのだが、七月の朝日座はその帰国公演である。 しかも長い旅路の疲労を見せず昼の部の鎌倉三代記では…

文五郎の死と文楽  芸一筋に善意の人生  昭和37年2.25 毎日新聞(朝)追悼・山口廣一 

死んだ文五郎は文楽座のトレードマークだった。このトレードマークは全国津々浦々でも通っていて、あるいはその名は世界的(?)であったかもしれない。文楽などまったく見向きもせない若い世代の人たちでさえ、吉田文五郎と聞けば、それが高名の人形つかい…

漫才型の危機  中座の松竹新喜劇  昭和42.2.19 毎日新聞(夕)劇評 山口廣一

天外の病気休演の補強策として、蝶々と雄二を加入させた松竹新喜劇が二月の中座である。 ワキ役にまわる雄二はとにかくとして、蝶々はずいぶん濃厚な個性をもった人だ。それたけにこの新加入がこの劇団の今後の演技構造にかなりの変革をもたらすであろうこと…

”花”のある危険  新歌舞伎座の扇雀と猿之助 昭和42.1.24 毎日新聞(夕)劇評 山口廣一

西の扇雀と東の猿之助、ともに今日の歌舞伎俳優のうちでは特に大きい舞台の”花”を持った若手の 人気者である。そのふたりが顔を会わせたのは初春芝居にふさわしい明るさだ。 扇雀でいうなら、四世南北の原作を舞踏化した「お染の七役」の早替わりがそれだ。…